昨日は朝から井堰について、要望をお聞きしに白木町小越に伺いました。
そこには「乳母堰(うばぜき)」という農業用水の取水口があり、写真のとおり、井堰のそばには石碑が建てられています。
地元の方いわく、乳母堰とは「浅野藩に乳母として仕えていた女性が、『褒章としてほしいものはないか』と藩主に尋ねられた際、「私が生まれた村は川からの取水ができず、稲作ができないため、みんなとても貧しい。なんとか農業用水の取水ができるようにしてほしい」と嘆願し、その結果、造られた井堰だそうです。
「暴れ川」といわれる急流の関川に設置されている井堰であることから、当時としてはかなり大掛かりな工事だったと思われますが、この井堰(乳母堰)があることにより、この下流域には今も多くの田園が残っています。
乳母を追慕するために地元の人々によって大正時代に石碑が建てられていましたが、4年前の豪雨災害でその石碑が破損したところ、2年前に地元の皆さんの寄付で新たに石碑が再建されました。
(写真の石碑の左側にたてられているのが、元の石碑をつなぎあわせて復元したものです)
中山間地域には多くの井堰や用水路がありますが、昔の人は多くの苦労をして農業用水路の開墾をされたのだとわかります。農業用水はまさに「命の水」だったのでしょう。
命がけで農業をされていた時代の歴史を語りついでいかれている地元の方々に敬意を表する次第です。